もにゃみってこんな人

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もにゃみ
ナマステ~♪ もにゃみの部屋へようこそ!

初めまして! もにゃみ です。

和服着たアイコンですが…インドでまったりのんびり自由人してます。

しかも幼い子ども2人旦那さまと、一家で移住しちゃったんです。

で、もう1人はインドで産んじゃいました!

インド!?「あの」インド?

「あの」 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

  • カレーの国
  • ターバンとひげのおっさんの国
  • お牛さまバンザイ!
  • やたら暑い
  • 汚い
  • 臭い
  • 危ない
  • 騙されちゃう!

 

はい、インドと聞いた人の一般的なイメージです。

 

実際はというと

  • カレーの国 →ほぼ正解!でも不正解!
  • ターバンとひげのおっさんの国 →ターバン率低し!でもひげ率は高し!
  • お牛さまバンザイ! →バンザイ!でも最近あんま見ないなぁ…
  • やたら暑い 確かに夏は暑い!でも冬は寒い!(デリー地区)
  • 汚い ところにより汚く、ところによりキレイ
  • クサい 慣れる!
  • 危ない 危ないとこ行くな!危ないことするな!
  • 騙されちゃう! あんた純粋なええヤツやぁ…

 

という感じです。

 

なぜもにゃみはインドに辿り着いたのか、知りたくありませんか。

え?知りたくない?

いやいや、知ってください!

 

 もにゃみという生き物

「そもそもインドに住もうだなんて、もにゃみってなんなの?」

という疑問にお答えして、まずはもにゃみについてご紹介します。

ゆきたんについて知りたい方はこちらの記事をどうぞ。

ゆきたんってこんな人

2018年4月2日

生息地

横浜市栄区で生まれ、16歳で巣を飛び出し21歳でインドへ。

その後、相模大野を経て西荻窪に落ち着く。

30歳になり、青森で「巣作り」千葉で「出産」と猛スピードで通過し、宮古島へ辿り着く。

そこで骨を埋めるかと思わせておいて、35歳で突如インドへ渡る。

今後はドイツオランダ辺りを経由して北欧に辿り着くのが野望

形態

  • 生年月日:1981年1月30日 21世紀と共に二十歳になった記念すべき「松坂世代
  • 血液型:A型 ほぼ間違いなくBかOと間違われるテキトーさ
  • 身長:173㎝ 日本女性としては大きめ
  • 体重:50~76kg 妊娠すると20kg以上増量する不思議体質
  • 肌:極端に弱く、紫外線や化粧品に耐えられない。常にすっぴん
  • 耳:過敏で大きな音が苦手。聞き間違い多し
  • 目:明るさ耐性が低く眩しがり。見間違い多し
  • 鼻:鼻炎持ちだが、ゆきたんの匂いには敏感かつ大好物。匂いで体調も識別できる
  • 口:言わんでもいいことを口走る悪癖あり。言い間違い多し
  • 爪:肌に準じて弱く、割れやすい
  • 髪:昔は腿まで届く「さらさらスーパーロング」だったが、今は「もっさもさのセミロング」
  • 足:26㎝ しょっちゅう躓く・ぶつける。合う靴がないため常に裸足にサンダル

生態

  • 実父よりおやじギャグの英才教育を受けて育つ
  • 忘れ物と失くし物のエキスパート
  • 主に夜行性で朝はただの屍のようだ
  • 寝始めたら止まらない。最長記録36時間
  • 夢見マイスター。五感全てありの既知夢を見る。夢の中でよく行く街もいくつか存在する
  • 長時間寝すぎて膀胱炎になったことあり
  • 食い意地が張っていて人の2~3倍食べる
  • 圧倒的に好きなのはかつ丼(しかもヒレ)、ラーメン甘いもの
  • 食わず嫌いはしない
  • 料理は作るより食べる方が好き
  • 唐辛子、わさび、からしは基本NGだが、その場でおろす本わさびや粒マスタードは大丈夫
  • 噛みきれないもの(貝の紐・処理の悪いタコ・処理の悪いホルモン)が苦手
  • 驚異的な的中率で「ジャリッ」というので、アサリやシジミ、サザエに恐怖を感じる
  • モデルをしていたのにメイクの腕は0。ファンデーションを買ったのは人生で1度だけ
    (舞台メイクのため)
  • 歌うことが大好きでインドまで習いに行く
  • パンダが好き。龍柄の服を好んで着ていたら台湾人の友達に
    「龍を着るのはおじさんです」と言われる
  • すぐにインドについて熱く語りだす
  • 買物するときはあいさつ代わりに値切る
  • 小・中学校ではいじめられっこだけどリーダーという意味不明の立ち位置
  • 小学校低学年のときに3段階評価で通信簿オール3を苦も無く達成した神童
  • けど通信簿に「協調性が無い・忘れ物が多い・予習復習をする気が無い」と毎回書かれる
  • 好奇心旺盛で気が散りやすい
  • ADHD
  • 時間にルーズでどうやって管理したらいいか未だにわからない
  • 宵越しの金は持たねーぜ!を直したい
  • 手に持ったものをとりあえず振ってしまう
  • 海より
  • 家族で行くディズニーがなによりのご褒美
  • ストⅡとマリオは苦手だけどぷよぷよは得意
  • FFよりドラクエ
  • 恋愛は超がつく肉食で猪突猛進
  • 駆け引き?なにそれオイシイの?

 

ここからちょっと本気出す

ここまで読み進んできたあなたは、忍耐強さと深い懐を持った素晴らしい人ですね!

どうですか? これでもにゃみがどんな人間かよく解ったことでしょう…

 

なわけないか!

 

これで「うわー!めっさ共感するー!」って人がいたら正気を疑います。

いや、わりと本気で。

ここから先は、簡単に半生をプレイバックします。興味ない方は飛ばしてもOK牧場!

 

変人っぷりをざっくり振り返る

4人兄姉の末っ子として生まれたもにゃみ。

幼少期から人目を気にせず、自分の興味あることにはトコトン集中するタイプ。

「もう4人目だし楽勝だわ!」と思っていた母の思惑を見事に裏切る変人っぷり。

8年間の育児で会得した手練手管が全く通用しないもにゃみに、母も自信を失うほど。

 

「門限守れないなら家にいれません!」

と締め出されれば、

「それならしゃーない」

と、また遊びに行くもにゃみ。

 

「じゃあ、門限破ったらお風呂掃除一週間!ゴミ捨て一週間よ!」

と言われれば、

「どうせ守れないから、どっちも私が担当でいいよ」

と、ポジティブ変換するもにゃみ。

 

 

今なら言えます。

 

「お母さん、苦労かけてごめんなさい」

 

 

わが道を突っ走るもにゃみは、変人なだけでは終わりませんでした。

年齢不相応にやけに賢く、いろいろなことを苦も無く吸収し

やってのける…

なにもかもが規格外だったもにゃみ。

 

その結果、両親や教師の

 

「この子はなにか凄い可能性を秘めている!」

 

という期待を煽りまくってしまったのです!

 

これが人生で最大のしくじり…

 

なんの努力もなく取れた「いい成績」「100点満点」が当たり前のテスト。

それを褒められてもなんの実感もない。

 

走れば一等賞

でも、ただ普通に走っただけ。

 

「小顔だし手足が長い!めっちゃスタイルいいね」

そういう風に生まれついただけ。

 

朝起きられない。

時間を守れない。

忘れ物ばっかりする。

なんなら紅白帽は5回くらい失くした。

家の鍵も3回くらい失くした時点で持たせてもらえなくなった。

周りの大人が言う「それくらい人として最低限の基本」は、どんなに努力してもできなかった

 

努力してないことばかり認められて、努力したことは何一つ認められない。

 

もにゃみの中で何かが歪んでいきました。

迷走の日々

あの優秀なみなみちゃんが、こんなこともできないなんて嘘でしょ?」

周囲の期待する姿と、現実の自分とのギャップを埋められないことに気付いたもにゃみ。

わが道をいくスタイルと、無駄に優秀だったことがネックとなり、同級生にも理解されず。

家にも学校にも居場所はなく、中学3年のときに優等生をやめて引きこもりにクラスチェンジ!

精神科通院やフリースクールへの進学、心身症で悪化したアトピー治療のための長期入院など、

多感な10代をなかなかの暗黒っぷりで過ごします。

 

一貫して追い求め続けたのは

 

「もにゃみとは何者か」

 

という答え。

 

とにかく人に認められたかった。

 

とにかく自分を認めてあげたかった。

 

ずっとずっと愛されたかった。

そうだ!インド行こう!

表現者になりたかったもにゃみは、歌のレッスンや舞台役者に挑戦しながら

自己実現を目指していました。

 

「圧倒的でゆるがない個性が欲しい!」

 

そう思ったとき、インドに呼ばれた気がしました。

 

  • 多宗教、多言語、多民族国家で、自己主張することが得意な人たち
  • 貧富も清濁も善悪も、全て混然一体とした文化
  • 人と神と動物が垣根なく暮らす国

 

少しずつピースが組み合わさるように、徐々に積み上げられ、

いつの間にか心の中に住みついていたインドへの憧れ。

それが大爆発した瞬間でした。

そしてインドで歌を習ってみる

月並みな表現ですが、インド生活は衝撃の連続でした。

 

  • 日本の常識が全く通用しない
  • 誰も私に期待しない
  • ありのままを当然として受け入れてくれる

 

インドはもにゃみなんかものともしない変人ばかりでした!

 

「こんなに呼吸が楽になったのは初めてだ!」

 

そしてもにゃみの中にインド愛が産まれたのです。

 

日本という現実世界に帰ってからも、胸の中で息づくインド愛もにゃみを支えてくれました

 

「人は自由に生きていい」

 

そして、もにゃみはちょびっと大人になり、社会へと踏み出したのです。

大切なものを見つける

帰国後は自己実現を目指してがむしゃらに働きました。

イベントコンパニオン、モデル、セミナーの司会、ステージ進行やディレクション

キャスティングと、イベント業は一通りこなしました。

興味と好奇心に突き動かされて、アパレルの個人輸入や商品企画・開発、

百貨店での販売も経験。

資金と時間を得るために、銀座でも働きました。

人を傷つけたり、嘘をついたりするのは苦手だけど、自分が我慢して頑張るのは得意でした。

仕事は楽しいし、自分のアイデアが形になるのも嬉しい

 

それでもなにか満たされない想いを抱えて苦しむ日々が続いていたのです。

自分が本当に求めているものはなんだろう…

仕事に生きるのか、女としての性を全うするのか…

 

30歳を目前にしたもにゃみは、この先の人生の選択を自分に迫りました。

 

  1. 私を自由にしてくれた国インドで語学学習しながらバイヤーになる
  2. 結婚して子どもを産む

 

この時点で彼氏のいなかったもにゃみは、迷わずインド行きを選択。

もう一度インドで暮らせば自分の求める「なにか」が見つかるかもしれない。

そう思っていたのです…が。

 

出会っちゃいました!

 

ゆきたんに。

 

お互いすぐに「どうやらこの人と結婚するらしい」と察したもにゃみとゆきたん。

実はすったもんだありましたけど。

そりゃもーいろいろありましたけども!!

 

出会ってちょうど一年、めでたくゴールインしたのです。

 

そして、愛する人との人生以上に素晴らしいものはない!と気付きました。

このときに、もにゃみの選択肢はインドから結婚へと自然に変更されたのです。

その選択が間違いだったとは全然思いません。

ただ、インドでの生活を諦めたことは心に残り続けていました。

震災は突然やってくる

その年。

2011年

 

東日本大震災です

 

当時もにゃみは妊娠中。

なによりも不安だったのは原発から漏れる放射能でした。

 

「わが子を守りたい!」

 

その一心で、ゆきたんに異動願いを出してもらい青森へ。

青森での生活はとても楽しいものでした。

のんびりとした優しい人たちに、美味しいごはん。

仕事ぶりを認められたゆきたんは上司から可愛がられ、スタッフからも慕われていました。

しかし、半年もしないうちにゆきたんの有能さが完全に裏目に出るできごとが。

臨月に入るという時期に、東京の本社に呼び戻されてしまったのです…

 

生まれたてのわが子と過ごす時間もろくに取れず、

長時間勤務&満員電車通勤で毎日疲弊しきるゆきたん。

初めての育児に、身内も知り合いも居ない場所で四苦八苦するもにゃみ。

 

長男が生まれて3ヶ月目

 

「こんな余裕のない生活を続けていたら幸せにはなれない!」

 

まったくのノープランでゆきたんの故郷、宮古島への移住を決意しました。

宮古島生活は理想の暮らし?

宮古島は多くの移住者が暮らす島です。

自然環境豊かで、流れる時間もゆっくり。

地域コミュニティの結束は固く、助け合い精神も強い。

子どもたちを大切にしてかわいがる風潮も、育児しやすい環境です。

 

ところが。

 

一見暮らしやすそうな離島には、裏の顔も当然存在します。

医療と教育の行き届かない現実。

しょっちゅうおこなわれる飲み会は酔いつぶれるまで終わらない。

北朝鮮や中国の脅威にさらされる隠れた恐怖。

一族企業ばかりでどんなに優秀でも出世できない村社会

そして、日本一低水準の賃金。

 

さらに年金、福祉、教育、平和…積み重なる国への不安と不信感。

 

将来に夢を持てない生活は、生きている実感を奪うには十分過ぎるものでした。

 

不満を全て飲み込んで、見て見ぬふりをする日々。

子どもたちに負の遺産を押し付ける罪悪感。

その日をやり過ごすことだけを考えて、思考をストップさせた暮らし。

 

そんな生活が長く続くわけがありません。

無力感に殺される!

母として、妻として、嫁として。

周りから求められるのはもにゃみそのものではなく、

○○くんのお母さん

○○の奥さん

○○の家の嫁

という役割ばかり。

 

ゆきたんは仕事と付き合いに忙しい日々。

 

心の中に灰が降り積もっていくような、

存在感が塗りつぶされていくような。

 

もにゃみを襲ったもの。

 

それは無力感でした。

 

知らずしらずのうちに蝕まれていたもにゃみは、ある日に倒れました。

 

それは数日の高熱のあと。

「手に力が入らない」

「体中が痛い」

握手もまともにできず、身動きするのも苦痛なほど。

慌てて病院で検査を受けた結果…

全身の筋組織が破壊され、筋力が極端に低下していたのです。

 

「高熱の影響でしょう。一週間ぐらいで筋力も戻ってくるはず」

と言われたのですが…

その後も症状は改善せず、腕も持ち上げられない。

子どもも抱っこできない。

立っていられない。

 

「もしかしたら進行性の自己免疫疾患かもしれない」

そう告げられたのは一ヵ月が過ぎた頃でした。

絶望的でした。

このまま筋力が低下すれば、いつか呼吸器も消化器も機能しなくなる…

 

「私は死ぬかもしれない」

 

宮古島では検査にも治療にも限界があったので

東京の大学病院へ行くことになりました。

 

ちょうど同じころ、ゆきたんが仕事のストレスから退職を決意

社長を訴えようかというほど過酷な労働に晒されていました。

ちょうどいいタイミングだから、と退職したゆきたんと子どもたちと共に

通院のために東京へ向かいました。

2016年8月のことです。

死ぬくらいなら我慢するのやめよう!

じわじわと進行する筋力低下。

結局原因を突き止められないまま、検査だけが続く日々にうんざりした頃。

「とりあえず免疫力を上げる漢方でも飲んでみますか?」

と医者に言われて、突然すべてがあほらしくなってしまったもにゃみ。

 

もうさ、原因不明のなにかにビクビクしながら意味のない検査受けてるくらいだったら、

トコトン楽しいことやって、トコトン好きなことやって、

毎日笑って過ごす方が何倍も身体にいいでしょ!

 

そして、約一ヵ月の東京生活をそこで打ち切ったもにゃみは

検査も受診も全部放り出して、家族で宮古島へと帰りました。

2016年8月末のことです。

私たちはみんな自由だ

宮古島に帰って一番の試練がゆきたんの仕事探しでした。

  1. 同業他社からのスカウトにのる
  2. 起業する
  3. おじーの畑を継ぐ

どうしたいか、毎日のように話し合いました。

特に起業に関しては、いくつも案を出しては検証を繰り返しました。

 

結論から言えば、どれを選んでもゆきたんがワクワクできそうにありませんでした。

もにゃみもゆきたんも、また我慢ばかりの日々になるのは絶対にお断りです。

 

そしてもにゃみが突然言い出したのです。

「海外移住しようよ。世界はもっと広いんだよ」

そう、視野を広げれば選択肢はいくらでも増やせるのです。

 

心身をすり減らした余裕のない姿を子どもたちに見せていいの?

「家族のために」って無理して病気になったり酒浸りになることは美徳なの?

それで子どもたちにだけ「自分の好きな道をいきなさい」って言えるの?

今、生活に息苦しさを感じているのなら、わざわざ我慢し続ける必要なんてない!

自由に生きてるキラキラした姿を子どもたちに見せようよ!

何よりも大切なのは家族みんなが笑顔で健康に過ごせることだから!

そしてインドへ

海外移住を決意してからは、どこの国へ行くかでまた悩みました。

タイやマレーシア、シンガポールと候補はいろいろありましたが、

最終的にもにゃみたちが選んだのはインド。

 

そのポイントは

  1. 公用語が英語
  2. 物価が安い
  3. 日本人の給与水準が高い
  4. 国が若い(平均年齢25歳)
  5. 経済成長がすごい
  6. 多様な価値観
  7. お手伝いさん文化
  8. もにゃみ居住経験あり
  9. 頼れる友達がいる
  10. 日本人が少ない

というものです。

なぜなのかはこちらの記事で詳しく説明していますので、読んでみてくださいね。

まだ日本で消耗してるの?

2018年4月20日

そして何よりも大きな理由、それは…

 

かつて私を自由にしてくれた国インドを、ゆきたんと子どもたちにも見せたい!

 

という熱い想いでした。

 

ターゲットさえ決まれば、あとは動くだけです。

もにゃみとゆきたん二人で揃って就活して、どちらかが決まった時点で即飛ぶことにしました。

2016年9月 インド就職活動開始

2016年10月 もにゃみが就職先GET

そして2016年10月末

思い立ってから僅か二ヵ月後のことでした。

もにゃみとゆきたんは子どもたちを連れて日本を飛び出したのです。

病気が教えてくれたこと

目標に向かって突き進むうちに、自然と元気になっていたもにゃみ。

ストレス太りだったゆきたんも、いつしか健康体重を取り戻していました。

不安はあれど、ワクワクした想いに突き動かされ、インドで新生活を始める…

その決断はもにゃみ一家の人生を大きく変えたのです。

 

もにゃみの病気とゆきたんの退職が重なったとき、あまりにも大きなストレスから

お互いに優しくすることができずに、離婚の話も出ました。

本当に紙一重のところでした。

 

でも、それがきっかけで

お互いの存在がどれほど大切か

家族の存在がどれほど力を与えてくれるか

ということに気付けたのです。

家族と一緒に笑顔で暮らせるところ=自分の居場所

住む場所が日本からインドに変わっても本質は変わりません。

家族が笑顔で支えあっていられるなら、人生はなんでもありです。

満たされない想い

不安

孤独

ぜーんぶどっかに消えてしまいました。

インドが教えてくれたこと

インド生活は奇想天外で、破天荒で、たまに困難で、ほぼほぼ大爆笑です。

家族みんなでたくさんのことに一喜一憂して、困難を乗り越えていくことで

ますます絆が深まっていきます。

海外生活だからこそ、家族がお互いを思いやることがとても大切です。

そして、もにゃみ一家はみんなで手を取り合いながらワクワクする方へと進んでいます。

人生を自由に選ぼう

もにゃみ
ここまでお付き合いくださったあなたに、最大級のありがとうを。

そして、もし何かを感じてくださったならこんなに嬉しいことはありません。

もにゃみは、自分の体験を通じて

今いる場所から抜け出せずに苦しんでいる人たちに

「もっと楽に、自由に生きる道があるよ」

ということを伝えていきたいと思っています。

 

そして、インドでの生活や移住情報をお届けすることで

新たな世界への一歩を踏み出すきっかけ

になりたいと思っています。

 

なにも難しいことはありません。

ちょっと視点を変えてみるだけでいいんです。

あなたの本当に欲しい人生を手に入れましょう!

 

ご質問・ご相談にもお答えしておりますので

お気軽にお問合せフォームからご連絡くださいね。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

20代からインドと日本を行ったり来たり。 インド人のルーズさにイラッとしつつも、日本にいるより気楽に生活できるインドがお気に入りの社会不適合者。 一家をインド行きに巻き込んだ張本人。しかし一切悪気無し。 もうメイドさん無しの生活は考えられない女子力マイナスの残念な人。
→詳しいプロフィールはこちら