まだ日本で消耗してるの?

もにゃみ
ナマステ! もにゃみです

あら? 疲れた顔してどうしたんですか? なにか人生に迷ってる?

じゃー、ちょっくらもにゃみの話でも聴いておいきなせぇ!

この記事を読んでくれているあなたは、多かれ少なかれ日本での生活に消耗しているはず。その苦しさを抜け出すお手伝いがしたくて、私は今、全力でこの記事を書いています。

なぜなら、もにゃみ自身が日本での生活に消耗しきっていた過去があるからです。

せっかくの人生を楽しめずにいるなんて、とても勿体ないことです。視点を変えれば、場所を変えれば、そこには新しい人生が拡がっているはず。あなたが今、苦しみながらもそこに留まっているのはどうしてでしょうか?

もにゃみ一家が特別なわけではありません。どこにでもいる普通の家族です。それでも日本を飛び出してインドで新たな暮らしを手に入れることができました。

あなたも自分の素直な気持ちと向き合ってみませんか?そして、笑顔で溢れる人生に一歩踏み出してみませんか?

日本で消耗しまくった過去

思い返せば、小さな頃から世界に馴染めずに孤独を感じていました。自分の周りには透明な膜があって、どんなにもがいてもその膜は破れなくて、周りのキラキラした景色をただ眺めることしかできない。ずっとそう思いながら生きてきました。

ゆきたんに出逢って、子どもたちを授かって、いつしか透明な膜は溶けるように消え去っていました。家族を持つことがこんなに幸せなことだなんて。孤独の渇きを癒してくれるものだなんて。

自分はこの家族を大事にするんだ!何よりも大切なんだ!

人生の核がそこにはありました。

ただ孤独な自分を満たそうと奮闘していた過去は終わり、新たなキラキラとした景色が目の前に拡がるのを感じていたのです。

 

現実に押し潰されそうになるまでは…。

 

ゆきたんを守れない

幸せな日常の中にも悲しみはたくさん潜んでいました。長時間拘束される、面白くもない仕事に疲弊していくゆきたん。酒量が増え、余裕のない表情で自分の殻に閉じこもる姿を見守るのは、とても辛いことでした。

それでも「家族を養うため」に、ゆきたんは悲壮な決意で朝が来ればまた戦場へと向かいます。外では常に笑顔で数々の苦難を自ら引き受けてしまう、優しすぎる、そして不器用すぎる生き方。

そんなゆきたんに、もにゃみができたことは…笑顔で家を守ることだけでした。外で消耗しきって帰ってきたときに、心癒される場が家でなければ一緒にいる意味がない。

そうして少しでも気力を取り戻せるように支えるのが自分の役目。そう思っていました。

当時のゆきたんは、一晩でビールのロング缶500mlを6本飲んでいました。明らかに異常な量です。外へ飲みに行けば記憶を失うほど飲み、車の中で寝てしまい帰ってこないことも。

それでも止めることはできなかったし、しませんでした。なにより、ゆきたん自身がそんな自分を持て余して苦しんでいるのを知っていたからです。

ゆきたんが心身を傷めてまで稼いでくれたお金は、当時住んでいた宮古島基準で言えば少し多めだったかもしれません。それでも、社長の気分次第で手取りが6万も減ったり、また戻ったりと安定しない生活は、ストレスを倍増させるものでした。

そんな風にいいようにこき使うだけ使って、社員の生活のことなど考えもしない企業に、どれだけ悔しい想いをしていたか!何度社長を訴えようと思ったか!実際に労基署や弁護士への相談もしましたし、慰謝料請求の内容証明まで作成しました。

結局、「事を荒立てるよりは静かに身を退きたい」というゆきたんの意思を尊重して、自主退職するだけに留めましたが、あの時の私たち夫婦の苦しみは忘れられるものではありません。

子どもたちを守れない

長男を妊娠しているときに、東日本大震災が起きました。東京に住んでいた私は、原発が爆発して蒸気を噴き上げるのをテレビの画面越しにみたときに「もうこの国は終わったんだな」と思いました。

そして「どうやってこのお腹の中の生命を守ろうか」ということだけに集中し始めたのです。

情報がいくつも交錯していて、「住む場所」「口にするもの」全てが恐怖の対象でした。常に疑心暗鬼に駆られ、神経を尖らせ…そのストレスの方が健康を害するのではないかと思えるほど。

でも、子どもを守るためにそれだけ真剣でした。必死でした。

だって、この子を守ってあげられるのは親である自分たちしかいないから。

そしてゆきたんの故郷、宮古島へ。でも、それで全てが解決したわけではありませんでした。問題はいつでもどこにでも転がっているものだと痛切に感じたものです。

のんびりした空気と面倒見のいい人たちに囲まれて、育児もしやすそうに見えた宮古島での生活。そこで直面した問題が「離島」という現実でした。

離島の一番の問題は「選択肢のなさ」です。学校、病院、仕事、すべての選択の幅が少なく、適合するものがなければ島外へ行かなくてはなりません。

児童の減少で学校は統廃合が進み、自家用車での送迎必須の遠距離通学や、複式学級と呼ばれる別学年の子どもたちを一クラスにまとめている学校、赴任者がいないため音楽や家庭科などの専科の教師の不在など、教育水準の低下が目立ちます。

島内には高校までしかないので、それ以上のことを学ぼうと思ったら必ず島を出なければなりません。そして、地元での仕事の少なさから、そのまま島外で就職・結婚と進み、益々若者が減っていきます。

病院の数の少なさや、専門医の少なさも厄介な問題でした。長男は喘息の発作を度々起こしましたが、救急受付はいつも混んでいて長時間苦しいまま待たされ続けてしまいます。

長女が「言葉を発するのが遅い」と発達検診で指摘を受け、聴力の検査を受けることになったときも、島内の病院では専門医や設備が揃わないため、沖縄本島の大学病院まで行かなければなりませんでした。

長女の耳に問題は無いことが分かりましたが、次に待ち受けていたのは「発達障害」です。長男も長女も発達障害。そりゃーそうでしょうよ!だって、もにゃみ自身がそうなんですから!遺伝でしょうね、きっと。

ただ、子どもたちが発達障害だとなると、日本での「協調性・平均的」を重んじる教育方針で苦しむことになるのは目に見えています。もにゃみ自身も、どれだけ苦しんで心に傷を残したか知れません。

そこに子どもたちを投じることは、もにゃみにとっては子どもたちを地獄に放り込むのと同義でした。

自分の心を守れない

不安はいつでも心の片隅に巣食っていて、ふとした瞬間にもにゃみを喰い尽くそうと襲い掛かってきます。

震災から一気に噴出した政治への不満、そして改憲問題から来る安全への不安。もし世界情勢が一気に戦いの方向へと傾いたら?

宮古島は間違いなく最前線でしょう。そのころ長男は青年になっているかもしれません。もし戦争に駆り出されたら?抗えるの?

そうでなくても、少子高齢化が加速する日本で本当に年金なんてもらえる?上がり続ける税金はどこに消えてる?子どもたちにそんな負の遺産を残していいの?

日々に追われて、家族を守ることに精いっぱいで、自分のことなんて二の次、三の次。

それでも…

 

苦しんでるゆきたんを救えない。

子どもたちの未来を守れない。

 

もにゃみ自身も、慣れない育児や親戚付き合い、ママ友付き合いなどで、どんどん消耗していました。家事もこなさなくちゃいけない。お金もやりくりしなくちゃいけない。

先が見えない。将来に希望が見出せない。この生活がいつまで続くのか…。

でも家族には笑顔でいてほしい。

 

限界でした。

 

逃げることは悪じゃない

全てに絶望しきって、体調を崩したもにゃみと、無職になったゆきたん。もう失うものはありません。あとは自分たちの手で新しい人生を掴み獲りに行けるかどうかだけです。

ピンチは最大のチャンス!

 

「子どもたちには自由に人生を選んでほしい」

 

そう思うなら、

自分たちがそのお手本になろうよ!

親の生き様ってやつを見せてやろうぜ!

大人の本気を見せてやろうぜ!

 

そして、もにゃみとゆきたんが選んだのは日本を出ることでした。

 

インドという新たな人生の扉

まず最初に移住先の候補に挙がったのはマレーシアでした。ほかにもタイやシンガポールなど。環境的に日本人が生活しやすく、実際に日系企業進出や教育移住も進んでいて、既に多くの日本人が住んでいるところです。

このときはまだ「働くのはゆきたんの役割」という思い込みがあり、英語が苦手なゆきたんでも日本語で働ける職が見つけやすいことを基準にしていました。

でも、ふと立ち返ってみると、タイ語やマレー語を習得した子どもたちには未来の選択肢がどれくらい増えるのかな?という疑問が湧きました。そして、日本を離れてわざわざ日本人村に行く無意味さにも気付きました。

そこで急浮上したのがインドです。

海外駐在員の100人中99人が「インド行きの辞令に家族全員で絶望した」という、インドです。

インドを選ぶ10のメリット

海外慣れした人たちでも旅行するのすら嫌がり、ましてや自ら住みたいなんて言うのはヒッピーかヨガ行者くらいでしょ?と思われている、ある意味キャラ立ちしすぎのインド。

まともな生活が送れるなんて想像もつかないですよね?

もにゃみたちがなぜインドを選んだのか、ポイントをまとめてみました。

重要ポイント!
  1. 公用語が英語
  2. 物価が安い
  3. 日本人の給与水準が高い
  4. 国が若い(平均年齢25歳)
  5. 経済成長がすごい
  6. 多様な価値観
  7. お手伝いさん文化
  8. もにゃみ居住経験あり
  9. 頼れる友達がいる
  10. 日本人が少ない

1.英語は今や世界共通の公用語と化しています。英語が自由に操れたら、世界へのハードルは大きく下がるでしょう。子どもたちには、ネイティブの英語力を持たせてあげたい。それが例えインド訛りの「Hinglish」だとしても(笑)

2.嗜好品や輸入品は日本と同じかそれ以上に高額ですが、生活必需品や食料品はとても安いのがインドの強みです。過度な贅沢をしなければとてもリーズナブルに生活できます。

3.タイで就労する場合、VISA最低基準は約17万円/月ほどです。インドの場合は$25000/年が基準なので、月額換算すると最低でも約23万円となります。これはインド人の一般的なお給料の約10倍の金額です。

4.インド人は老けて見えるので(笑)一見分かりにくいのですが、とにかく若者がたくさんいます。そのため、国全体のエネルギー量も凄まじく、活気に溢れています

5.インドの実質GDP成長率は、2017年12月で7.2%を記録。2005年6月からの平均値で見ても7.6%です。対して、日本の2018年度の実質GDP成長率見込みは1.0%と、大きな開きがあることが分かります。
これに伴い銀行の金利も普通預金の年利で平均8%定期なら倍近くになるものもあります。給与も毎年10%アップが当たり前。インドの若者は未来に希望を持って生きています。

6.多様な人種・宗教が交じり合うお国柄なので、考え方も、食の好みも、服装も、祝日も、みんな違って当たり前です。無理やり自分の意向を押し付けたりすることもなく、お互いを許容しあいながら生活しています。
日本の同調圧力に馴染めなかった、はみ出し者のもにゃみが居心地良く感じたのはココですね。個々の主張を尊重しあう考え方は、子どもたちに一番吸収して欲しい部分です。

7.これは最高!としかいえません。必要に応じて「運転手」「守衛」「掃除人」「料理人」「子守」「家庭教師」などを雇う文化があり、中流以上の家庭には当たり前のように使用人がいます。我が家ではオールマイティに家事をこなしてくれるメイドさんを雇ったこともありますが、今は守衛さんに掃除と食器洗いもお願いしています(笑)
家事を任せることで自分の時間や家族との時間に集中できますし、家事の分担で夫婦喧嘩をする必要がなくなります。そして、雇用の機会を生み出す社会貢献でもあるのです。

8.全く行ったことのない国に飛び込むのは勇気が要ります。その点、随分前ではあるものの、もにゃみはインド生活の経験があったので、インドでうまくサバイバルするコツがなんとなくわかります。これは海外生活を始める際の大きなアドバンテージでした。

9.これも昔住んでいたからこそですが、そのときからお世話になっていた面倒見のいいインド人の知り合いがいること。現地に味方がいるだけで、その国への馴染みやすさも暮らしやすさも大きく変わってきますよね。

10.総人口世界第2位の大国で成長著しいにも関わらず、在印日本人数はたったの9000人。13億人のインド人の中に、たったの9000人ですよ。
アメリカには42万人、タイでも7万人の日本人がいることを考えると、圧倒的に少ない数字だといえるでしょう。これは、ブルーオーシャンの匂いがプンプンすると思いませんか?
数年で帰ってしまう駐在員を除くと、実際にインドに根を張って生活している日本人は、ほんの一握りです。家族でわざわざ移住しに行く人たちは圧倒的少数なので、なにをやっても先駆者になれるというのは、考えただけでワクワクしませんか?

インドを通して見えた「希望」

今や、世界の名だたる大企業のトップはインド人ばかり。その英語力と発想の柔軟さ、適応能力の高さで世界中を席巻しています。

そしてインド人は家族を大切にし、家族と過ごす時間をなによりも優先します。そんな文化の中で生活をしていけば、自分たちも思う存分家族との時間を持つことができます。

 

それでもまだインドに行くのを躊躇う理由はある?

私たちだって、まだまだやれる!

そして、子どもたちには無限の可能性が拡がっている!

 

もう、日本にしがみついて泣いている暇なんてないでしょ?

 

さあ、飛び込もう!

インドに来てから、もにゃみたちの生活は大きく変わりました。新たな土地でお互いを支えあい、一緒に困難を乗り越えることで絆が深まり、家族で過ごすことに大きな充足感を得られるようになりました。

もちろん、インドの生活には不便なこともあります。不満に思うことだってあります。それでも、何が起きても笑い飛ばせるだけの強さをもにゃみたちは手に入れました。

だって、インドだから仕方ない!

生き抜く力は確実にレベルアップしています。このままいけば、世界中のどこに行っても暮らしていける能力が身に付くのは間違いないでしょう。

インドは今のもにゃみたちが目指すものにピッタリ適合しているので、当分はインド生活を満喫するつもりです。でも、その先はわかりません。子どもたちの成長に合わせて国を移ることも考えていますし、もしかしたら日本に帰るという選択をするかもしれません。

未来のことは考えても仕方ない!

そのときになってから、また考えればいいと思っています。頭を柔らかくして、思い込みを捨てて、自分が気持ちいい生き方を選んでいくこと。それがなによりも大事ですからね。

 

そして、今インドで生活する私たちが一番に伝えたいこと。それは…。

 

家族さえいればどんな困難も楽しめる!

 

あなたの帰る場所は、家族のところにあるんです。それは、国が変わっても、生活スタイルが変わっても、動かしようのない事実なんです。家族の笑顔がそこにあれば、新生活に不安を感じる必要はありません。

 

さあ、あなたはどうしますか?

道はいつでもあなたの前にありますよ。

 

もにゃみってこんな人

2018年2月23日

ゆきたんってこんな人

2018年4月2日

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    ABOUTこの記事をかいた人

    20代からインドと日本を行ったり来たり。 インド人のルーズさにイラッとしつつも、日本にいるより気楽に生活できるインドがお気に入りの社会不適合者。 一家をインド行きに巻き込んだ張本人。しかし一切悪気無し。 もうメイドさん無しの生活は考えられない女子力マイナスの残念な人。
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